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米国映画『アメリカン・ビューティー』1999年ドリームワークス

目次

はじめに

本作品が日本で公開されたのは2000年のゴールデンウィークのことでした。当時私の職場にいたちょっと気難しい映画好きの先輩が本作品を観て「映画がやっと文学に追いついた」と言ったのを覚えています。

本作品はアラン・ボール(Alan Ball)氏のオリジナル脚本を、スティーブン・スピルバーグ氏が一読して気に入り、当時まだ映画監督未経験であったサム・メンデス(Sam Mendes)氏を監督に据えて世に送り出された作品です。音楽はトーマス・ニューマン(Thomas Newman)氏、撮影はコンラッド・L・ホール(Conrad L. Hall)氏が担当しています。

なお本記事の執筆にあたっては、下記書籍を参考にしています。

『AMERICAN BEAUTY』Alan Ball著 2000年 FilmFour Books編

(注)本作品の脚本は、撮影前稿と作品完成稿とに差異がありますが、上記参考書籍には作品完成稿が収められています。

登場人物

レスター(42)

ケビン・スペイシー Kevin Spacey

広告代理店に勤務。娘の友人であるアンジェラに一目惚れしてしまうことがきっかけで、今まで失っていた活力を取り戻し、薬物をやり出し、会社を辞めてハンバーガーショップでアルバイトを始め、ロックミュージックを聞くようになり、アンジェラと男女関係を持つために筋トレやジョギングを始めるようになります。

キャロリン(40)    

アネット・べニング(Annette Bening)

レスターの妻。主婦をしながら不動産業に従事しています。閑静な住宅街に建つ瀟洒な一軒家で、美しい高級家具や高級食器に囲まれながら、庭に咲く赤い薔薇(アメリカン・ビューティー)を手入れするような暮らしを維持することに躍起になっています。同業者のあいだで不動産王と呼ばれている男性とやがて不倫します。

ジェーン(16)

ソーラ・バーチ(Thora Birch)

レスターとキャロリンの一人娘。通っている高校でチアリーディングをやっています。冷え切った家族関係を冷めた目で見ていて、親、特に父親であるレスターを疎ましく思っています。新たな隣人の青年、リッキーとやがて恋に落ちます。

リッキー(18)

ウェス・ベントリー(Wes Bentley)

レスター、キャロリン、ジェーン達家族の隣人の青年。ビデオカメラ撮影が趣味です。やがてジェーンと恋に落ちます。密かに薬物の売人をやっていて、レスターに薬物を売っています。父親から日常的に体罰を受けており、過去に精神病院に入れられたことがあります。なお脚本には、彼の登場シーンに以下のような描写が添えられています。

his eyes are much older. Beneath his Zen-like tranquility lurks something wounded …and dangerous.

Alan Ball 2000年 FilmFour Books 『AMERICAN BEAUTY』 P16

「その目は実年齢よりも年上に見え、『禅』のような静けさの奥に、傷ついたような、危うい雰囲気を漂わせています」といったところでしょうか。

アンジェラ(16)

ミーナ・スヴァーリ(Mena Suvari)

ジェーンの友人で同じ高校に通い、やはりチアリーディング部に所属しています。自分がいかに美しく、それゆえ男性にもて、経験豊富かをジェーンに自慢しています。しかし実は経験はありません。

「大佐」(年齢記載なし)

クリス・クーパー(Chris Cooper)

レスター、キャロリン、ジェーン達家族の隣人でリッキーの父親です。威厳ある男性として振舞っており、男性同性愛者を軽蔑しています。しかし実は彼自身が男性同性愛者です。

あらすじ

死後のレスターの声が、僕の名前はレスター・バーナム、年齢は42歳、そして一年以内に僕は死ぬ、と語ります。そして妻のキャロリンと娘のジェーンを紹介します。

死ぬ一年前のレスターは、「ある意味既に死んでいる」ような、活力を欠いた日常を送っていました。しかし娘のジェーンの友人アンジェラに出会って性的刺激を受けたことで、眠っていた活力を呼び覚ますきっかけを得ます。

レスターの空想の世界に姿を現すアンジェラ。アンジェラは無数の赤い薔薇の花びらに全裸で横たわってレスターを誘惑します。

一方娘のジェーンは隣りに越して来た青年リッキーと恋に落ち、また妻のキャロリンは、彼女が関わる不動産業界内で「不動産王」と呼ばれている男性と不倫するようになります。

リッキーは密かに薬物の売人をやっています。そんなリッキーからレスターは薬物を購入するようになります。ある晩レスターは、アンジェラが筋肉ムキムキの自分にだったら抱かれてもいいと思っていることを知ります。レスターは筋トレを始め、ジョギングに励むようになります。

更にレスターは、会社を辞めてハンバーガーショップでアルバイトを始めます。またロックミュージックを聞くようになり、自身のトヨタカムリを、キャロリンに無断でファイヤーバードに買い替えます。

死後のレスターの声が、自身の最後の一日が始まったことを告げます。

キャロリンは「不動産王」と一緒に居る現場をレスターに見られてしまいます。そして「不動産王」から、もう会うのはよそうと言われます。「不動産王」が去り車中で一人になったキャロリンは泣きだします。そして叫び声を上げます。

雨が降り出します。

レスターの家で薬物の取り引きをしていたレスターとリッキーの様子を、リッキーの父親、「大佐」が濡れた窓越しに見つめています。その光景はあたかもリッキーがレスターに性的サービスを施し、レスターが快感に達しているように見えます。「大佐」は狼狽えます。

雨の中、車を走らせるキャロリン。車内には「犠牲者になることを拒否しなさい」と語る自己啓発テープが流れています。キャロリンは「私は犠牲者にはならない」という言葉を、取り憑かれたように繰り返し発しています。カバンの中には銃が入っています。

帰宅したリッキーを、レスターとの行為のことで激しく責め立てる「大佐」。そんな「大佐」をリッキーは、威厳を欠いた情けない父親だと感じ、その失望感は遂に決定的なものとなります。「大佐」に見切りをつけるリッキー。彼は母に労いの言葉を告げると家を出ます。そして隣家のジェーンの部屋に行き、一緒にニューヨークに行って欲しいと告げます。

ジェーンの元を訪れていたアンジェラは、ジェーンを引き止めようとします。しかしジェーンはアンジェラを退け、リッキーと一緒に家を出る決意をします。加えてアンジェラはリッキーから「君は退屈な普通の女だ、図星だろ」と言われ、ひどく傷つきます。

雨はさらに激しく降ります。

ガレージで筋トレに励み汗だくになっているレスターの元に、雨でびしょ濡れになった「大佐」が近付いてきます。見ると彼の目も涙で濡れています。レスターは「大佐」に慰めの言葉をかけ、濡れたシャツを脱ぐよう告げます。それらを受け入れのサインと解釈した「大佐」。次の瞬間、「大佐」はレスターにキスをします。レスターは慌ててそれを拒み「悪いが、君は勘違いしてるよ」と告げます。

家の中にレスターが戻ってくると、アンジェラが一人泣いています。レスターとアンジェラに静かな時が流れます。そしてレスターは、ついにアンジェラを抱く機会を得たのですが…。

感想

最後レスターは何故アンジェラを抱くのをやめたのでしょう。

レスターはアンジェラをずっと抱きたいと思っていて、ついに最後そのチャンスを手にします。しかしアンジェラの「わたし初めてなの」という告白を聞いて抱くのを止めてしまいました。ではどうして止めてしまったのでしょう。その理由について私たちはきっと、様々な思案を巡らせそれを楽しんだことと思います。

では脚本担当のアラン・ボール氏と監督のサム・メンデス氏は、この場面をどのように意図していたのでしょう。参考書籍に彼等の意図を読み取れる描写があります。

This is not the mythically camal creature of Lester’s fantasies; this is a nervous child.

Alan Ball 2000年 FilmFour Books 『AMERICAN BEAUTY』 P138

レスターにはアンジェラが、nervous childとして映ったのです。

レスターはこれまでずっと彼女を性の対象とするファンタジーの世界に浸ってきました。しかし「わたし初めてなの」という彼女の言葉がレスターを目覚めさせます。目覚めたレスターの前に佇むアンジェラ、それは紛れもないnervous childだったのでした。

最後キャロリンがレスターの衣類を抱えて泣き崩れた真の理由は…。

私は本作品が大好きで、これまで何度も繰り返し視聴してきました。そして長いあいだ、最後キャロリンが泣き崩れたのは、レスターの死を知ったからだと思っていました。

しかしあることに気付いて以来、それは誤りかもしれないと思うようになりました。実は本作品には、キャロリンがレスターの死を知る場面は存在しません。

それに気付いた当初、私は見落としかと思い、キャロリンが泣き崩れる場面の少し前辺りを何度も見直しました。しかし何度観ても、そういう場面は存在しなかったのです。

本作品の脚本は、撮影前稿と作品完成稿とに差異があったことが知られています。そして撮影前稿には、キャロリンがレスターの死を知る場面は存在していました。よってその場面は脚本通り撮影されたでしょうし、最後のキャロリンの「泣き崩れ」の演技も、「レスターの死を知った」という流れを汲んで演じられたであろうことが推測できます。

にもかかわらずサム・メンデス氏は最終的にその場面をカットしました。したがって完成作品は、

①キャロリンはレスターの死を知っていた。しかしそれを知る場面は省略された。

もしくは、

②キャロリンはレスターの死を知らなかった。

のいずれかになります。はたしてサム・メンデス氏はどちらを意図したのでしょう。

どちらを意図したのか、それを知る手立ては私にはありません。しかし仮に②だったとしたら、一つの大きな疑問が生じます。もしキャロリンがレスターの死を知らなかったとしたら、彼女は最後、何に誘発されて泣き崩れたのでしょう。

実は参考書籍には、それを示唆する記述が存在します。以下の記述です。

Then, suddenly aware of Lester’s scent, she grabs as many of his clothes as she can and pulls them to her, burying her face them.

Alan Ball 2000年 FilmFour Books 『AMERICAN BEAUTY』 P147

キャロリンはレスターの衣類に染みついたLester’s scentに誘発されて泣き崩れた、これがサム・メンデス氏が意図したことだったということになります。

もしサム・メンデス氏の意図がこの②だったとしたら、本作品におけるキャロリンの「旅」というものが、少し様変わりして見えてきはしないでしょうか。

「(以前はレスターと仲良しだったけど)今はレスターとはギクシャクしてしまっていて、途中「不動産王」に横恋慕したけれど、最後にはレスターの元に戻る」

というふうになって、「最後にはレスターの元に戻る」という点が強調された印象を受けます。キャロリンは作中でレスターを蔑み、罵声を浴びせ、不倫すらします。しかし彼女の心の根底には、終始レスターを愛したい、レスターに愛されたいという心情が流れていた、そう思えてきます。

最後に少しだけ、レスターについても触れてみたいと思います。

本作品は最後、死後のレスターによる美しいナレーションで幕を閉じます。そのナレーションに「そして…キャロリン」とささやく場面があります。実は参考書籍には、この箇所が以下のように綴られています。

LESTER (V.O)(with love)And…Carolyn.

Alan Ball 2000年 FilmFour Books 『AMERICAN BEAUTY』 P148

サム・メンデス氏はケビン・スペイシー氏にこの言葉を、with loveで語るよう求めていたのです。レスターが最後に自身の内部に見い出した心情、その一つをサム・メンデス氏は、キャロリンへのloveであったと意図したのでした。

本作品におけるビューティーとは、いったい何なのでしょう。

キャロリンが初めて登場する場面で彼女は、美しい薔薇の花を手入れしています。本作品の設定においては、この薔薇の品種名こそが「アメリカンビューティー」であることはよく知られていると思います。

そして本作品におけるビューティーとは、表層的にはこの薔薇に象徴される様々な物や人や事柄、経済的成功だったり、豊かさだったり、外見の美しさなど(しかしそれらは内側に闇や歪みを孕んでいます)のことなのでしょう。

そこでもう一歩踏み込んで、本作品におけるビューティーについて思案を巡らせてみると、私たちは作中のとても印象深いある場面に辿り着きます。トーマス・ニューマン氏が創作した美しいバック音楽のもと、リッキーとジェーンが、寒空の下で舞う白いポリ袋の録画映像を鑑賞する場面です。この場面でリッキーはビューティーについて以下のように語っています。

there was this entire life behind things, and this incredibly venevolent force that wanted me to know there was no reason to be afraid. Ever.

Alan Ball 2000年 FilmFour Books 『AMERICAN BEAUTY』 P88

この場面は最後の、死後のレスターによるナレーションの場面でも用いられ、その数場面後のレスターの以下の言葉から、私たちはレスターが最後の最後には、リッキーによって語られたビューティーの観念に辿り着いたことを理解します。

it’s hard to stay mad, when there’s so much beauty in the world.

Alan Ball 2000年 FilmFour Books 『AMERICAN BEAUTY』 P148

また参考書籍には、アラン・ボール氏による「あとがき」が掲載されています。そしてその最終段落で彼は、下記のようなことを述べています。

We live in such a manufactured culture, one that thrives on simplifing and packaging experience quickly so it can be sold. But as Ricky knows − and Lester learns − things are infinitely deeper and richer than they appear on the surface. And although the pritanical would have us believe otherwise, there is room for beauty in every facet of existence.

Alan Ball 2000年 FilmFour Books 『AMERICAN BEAUTY』 P153

本作品におけるビューティーとは、深い意味においては、リッキー、レスター、そしてアラン・ボール氏によって語られた、これらのことなのでしょう。

このように本作品におけるビューティーとは、表層的な意味と深い意味とがあるように思います。

ところで、本作品におけるビューティーを、本作品に取り入れた人物、それはいったい誰だったのでしょう。

それは脚本担当のアラン・ボール氏であろうことが推測できます。

本作品の脚本には、撮影前稿と作品完成稿に差異があったことは既に述べましたが、リッキーがビューティーを語る場面、そして死後のレスターの声がビューティーを語る場面は、撮影前稿に既に存在していたことが確認できています。またアラン・ボール氏はアカデミー賞最優秀脚本賞受賞時のスピーチで、ワールドトレードセンター前で見た、白いポリ袋が風に舞う光景からインスピレーションを受け、それを脚本に取り入れたことを明かしています。

本作品で語られるビューティーとは、アラン・ボール氏によって作中に取り入れられ、スティーブン・スピルバーグ氏を虜にし、サム・メンデス氏のディベロップメントにおいて道標とされたものであろうことが推測できます。

かくして作品は完成しました。次はドリームワークス社が本作品を世界市場に打って出る番ですが、その際のキャッチコピーとなったある言葉が存在します。

…Look closer

この言葉は、VHSやDVDパッケージにあたかも副題のように記されています。

あたかも制作者が私たち観客に、この作品を「よく見て」と言っているような、または言っているのは制作者ではなく作中の登場人物であるような、何となく気がかりな言葉です。

そしてこの言葉こそが、私たち観客が本作品におけるビューティーの深い意味を知る手立てとして、ドリームワークス社が用意したヒントだったのではないでしょうか。

映画製作の工程を私は詳しくは知りませんが、それらは概ね「①アイデアもしくはネタ」を練って、それが「②脚本」になって、それを元に「③撮影・編集されて完成」という工程を経るのだと思います。そして最初なのか、途中なのか、または最後なのかは解りませんが「④販売コンセプトづくり」という工程もきっと経るのだろうと想像します。

そして本作品について言えば、この①から④までのいわば4つの点が、綺麗な一本の線で繋がっているような印象を受けます。

もしかしたらスティーブン・スピルバーグ氏は、持ち込まれた脚本を一読した瞬間に、この一本の線を捉えていたのではあるまいか、そんな気さえしてきます。完成度の高さを感じます。

おわりに

本作品をご覧になった多くの方々同様、私も作品そのものも、そして登場人物も大好きです。

彼らは皆完璧からは程遠い人物ですが、もがきながらも頑張って生きています。一見鼻持ちならない人物として描かれているキャロリンにも、忘れがたい素敵な場面があります。売りたい家を売り切れなかった後、販売物件のカーテンを締め切って、頬をビンタしながら「弱虫、弱虫」と言って泣きじゃくる場面です。鑑賞しながら私はいつも「わかる、わかるよ…」と呟きたくなります。

レスターは最後の最後、「この世にはあまりにも沢山のビューティーがあり過ぎて、時に僕を圧倒し、僕のハートを風船みたいにパンパンにする。そんな時、僕はリラックスすることにしている。すると僕のハートをパンパンにしていたビューティーは、まるで雨のようにゆっくりと僕のもとから流れ落ち、その後には、愚かでちっぽけだった僕の人生への感謝の念だけが残る」と語っています。

この言葉は、ご覧になった多くの方々の胸に響いたのではないでしょうか。

誰しも時には自分の人生がちっぽけで取るに足らないものに思えてくることがあると思います。でも、案外捨てたものではないのかもしれません。

作中においてことごとくダメダメなレスター。しかしアラン・ボール氏とサム・メンデス氏は、決して彼を見捨てたりはしませんでした。

「レスター、まわりが何と言おうと僕は君の見方だよ」

彼等のそんな言葉が聞こえてきそうです。そしてその言葉は、キャロリンにもジェーンにもリッキーにもアンジェラにも「大佐」にも向けられているように思います。

アラン・ボール氏とサム・メンデス氏の、主要登場人物に注ぐ眼差しの温かさに、私も癒やしと元気を頂いた者の一人です。

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