作品概要
『小学五年生』は17篇の短編小説集で、すべて小学五年生の「少年」が主人公です。
作者は直木賞作家の重松 清さんです。
はじめに
年齢をある程度重ねると、意にそぐわない選択をしなければならなかった経験が、1つや2つあると思います。
その理由は、環境的に許されなかったとか、どうしてもそうする勇気が出なかったなど、きっと様々なのでしょう。
私は小学 5、6年当時、クラス担任が顧問を勤める部活動に、半ば強制的に加入させられました。
良かったことも、きっと様々あったと思います。
でも許されるなら、望む部活動に加入したり、あるいは部活動に入らず、放課後を友人たちと過ごす生活を送りたかったです。
タイムマシンか何かで当時の世界に行って、もう一度小学5、6年生をやり直せれば良いのですが、そうも行きません。
せめて小学5、6年生が登場する架空の物語に、当時の自分の身を置いてみたい、そう思って「小学5年生 小説」というキーワードで検索をかけてみました。
『小学五年生』を手にしたのは、そういう経緯からです。
あとがきに、以下のような記述がありました。
内なる小学五年生の少年(おお、カッコいい)に友だちをつくってやりたくて、短いお話をいくつか書いた。読んでくださったひとたちのココロの中にいる/かつていた小学五年生にも気に入ってもらえたら、とてもうれしい。
重松 清 2009年 文春文庫『小学五年生』内「文庫版のためのあとがき」P281
こんなことってあるんだな、と思いました。
『小学五年生』は、その時私が欲していた物、そのものでした。
私は、大好きだった3、4年生の時の担任の先生が、学校を去ることを知って悲しかった4年生の終業の日、そして、その時のクラスメイトと笑い合って過ごした4年生(5年生が始まる前)の春休みを思い起こしました。
そして『小学五年生』の本編のページを開きました。
あらすじ
『葉桜』
5年生になる前の春休みに、別の小学校に転校になった少年が、ゴールデンウィークのある日に、かつての小学校の校庭で4年生の時の友だちと再会する話です。
『おとうと』
少年は、視力の弱い弟をいつも足手まといに思っています。しかし今日だけは弟と遊んでやることにしました。明日弟が目の手術をするからです。
海に行きたいと言う弟。しかし遠過ぎて行けません。
少年は商工会館の建物の上のほうからなら、海を見ることは出来るかもしれないと思い、そこに弟を連れて行くことを思いつきます。
でも本当に見えるだろうか。それにもし見えたとしても、視力の弱い弟がそれを海だと見分けられるだろうか。
もし明日、弟の目の手術が失敗したら…。
幾重もの不安な気持ちを内に秘めながらも少年は自転車の荷台に弟を乗せ、商工会館目指してペダルを踏み込みます。
『友だちの友だち』
ヨッちゃんは転校してきた少年と最初に仲良くなったクラスメイトです。しかし最近二人の関係はギクシャクし始めます。
ある日少年は、ふとしたきっかけから一人のおばさんに出会います。
少年はそのおばさんが、二年前に自分と同じ年の息子さんを事故で亡くしたことを知ります。そしてその息子さんは、なんとヨッちゃんの元親友でした。
ギクシャク気味だった二人の少年の関係が、我が子を亡くした女性との関わりをきっかけに回復していく話です。
『カンダさん』
隣の家に住む久美子は、少年にとって年の離れたお姉さんのような存在です。そんな久美子にカンダさんというカレシが出来ます。
カンダさんは久美子宅に来ると、必ず少年宅にも寄ってプラモデル作りを手伝ってくれるようになります。
そんなカンダさんのことを少年は、年の離れたお兄さんのように慕い始めるのですが…。
少年とカンダさんとの、出会いと別れの話です。
『雨やどり』
空がみるみる暗くなって、街に突然の大雨が降り出した時、一丁目の少年は、お母さんと喧嘩をして家を出て行ったおばあちゃんを追って出て来て、今おばあちゃんと一緒にバス停で駅行きのバスを待っています。
二丁目の少年は、いつも衝突つづきだった相手とついに決闘になり相手を睨んでいます。
そして三丁目の少年は、虫歯治療の歯科クリニックで居合わせた、ずっと気になっている女子と、持ってきた傘を用いてより親しくなる方法を画策しています。
そんな三人の少年の、大雨から雷雨が止んで空に虹がかかるまでの束の間を描いています。
『もこちん』
少年は怪我をしてしまい、水泳の授業をプールサイドから見学することになります。やがて着替えを終えたスクール水着姿の女子たちがやって来ます。
少年は消毒槽に浸る女子たちを見て良からぬことを妄想してしまったり、手足のスラッと長い女子がプールに飛び込む時に突き出たお尻に反応してしまったりします。
少年のアダナはもこちん。あそこがもっこりふくらむと言う意味です。
生理でやはり授業を見学していた三人の大人びた女子が、何やらニヤニヤしながら少年のところにやって来ます。そして彼女たちは少年にある質問をします。
「ねえ、もこちんってどういう意味?」
『南小、フォーエバー』
小4の時、少年と三上クンは一番の仲良しでした。しかし三上クンは5年生になる前の春休みに転校してしまいます。少年は、夏休みになったら絶対会いに行くからと約束します。
そして迎えた夏休み最初の日、少年は期待に胸を膨らませ、電車に乗って三上クンに会いに行きます。しかし駅のホームで待っていたのは三上クンのお母さんでした。
三上クンは新しい学校の仲間とのソフトボールの練習で、昼まで抜けられなくなったのです。
少年は仕方なく、昼まで三上クンを待つことにしたのですが…。
『プラネタリウム』
市の教育センターが開いた『子ども天体教室』に、少年は友だちと二人で、記念品のステッカー狙いで申し込みました。しかし当日の朝友だちが寝坊して参加を取りやめ、少年は一人で参加することになります。
みんなは何人かの仲間と一緒に来ていた為、少年は星座盤の使い方練習のためのグループ作りで孤立してしまいます。来るはずだった友だちの欠席を惜しむ少年。
しかし自分以外に孤立している人物、しかもそれが女の子であることを知った少年は、参加して良かったと思い直します。
教室を担当する先生に促され、二人っきりでグループを作ることになった少年と女の子。少年は女の子との近い距離感にドキドキします。そして偶然にも、二人の誕生日が同じであることを知ると、少年のテンションはさらに上がります。
会場が変わってプラネタリウム鑑賞の時間になりました。プラネタリウム鑑賞会場の席は自由です。少年は勇気を出して女の子の隣りの座席に座ります。
女の子が言います、プラネタリウムが一番楽しみ、だから一人で申し込んだの。
少年は言います、俺も。
天井が暗くなって、二人の頭上に織姫と彦星がひときわ明るく瞬きはじめ…。
『ケンタのたそがれ』
夏休み。ラジオ体操から帰ってきた少年は、母が作り置きした冷たい朝食を食べます。少年の父は半年前に亡くなりました。母は四月から働きに出るようになりました。
朝食を終えた少年は公園に行きます。でも今日も、仲良しの友だちは誰も居ません。みんな駅前の進学塾の夏期講習に通っているのです。公園に行ったところでみんな居ないことなど、少年はほんとうは最初からわかっていました。
時間はなかなか進みません。
やっと正午になります。
少年は昼食を食べることにします。やはりお母さんが作り置きした弁当です。
昼食を終えた少年は昼寝をすることにします。しかしそもそも眠くないから眠れるはずもなく…。
夏休み、父と母、そして友だちとの関わり合いを失った少年の、孤独な一日を描いています。
『バスに乗って』
少年の母が病気で入院してしまいます。少年は父から回数券を渡され、以来一人でバスに乗り、母に会いに行くようになります。
最初の日、少年はバスを降りる時に停止前に座席を立って歩いてしまい、運転手の河野さんに叱られます。以来少年は、河野さんが運転するバスに当たると暗い気持ちになるようになります。
一冊目の回数券を使い切った時、少年は父にあと何冊買ったらいいか聞きます。少年は父から明るく、一冊買っておけば足りると言ってもらいたいと思います。それだけ早く、母が退院するからです。しかし最終的な父の答え、それは三冊でした。
そしてバスで回数券を買い増しする時、少年は、できれば河野さんのバスに当たりたくないと思います。しかし河野さんでした。少年は緊張して回数券を買うのにもたつき、また河野さんに叱られます。
回数券は減っていきます。母はいっこうに退院になりません。
そして三冊目の最後の一枚の回数券になります。少年はバスの中で、母の入院が長引いているのは回数券を三冊も買ってしまったせい、だからもう買い増ししたくない、そう思うと悲しくなり、この最後の一枚を使ってしまうのが辛くて泣き出してしまいます。
そんな時、運転手はよりによってまた河野さんで…。
『ライギョ』
少年がトモノリに連れられて自転車で池に来ると、釣りをしているタカギくんを見つけ、トモノリは「石投げようぜ」と言います。
タカギくんは中学1年生でトモノリの兄貴の同級生。いつもクラスの男子全員からいじめられています。
少年はほんとうはタカギくんに石など投げたくありません。でもトモノリから「おまえもタカギ2号にするぞ」と言われのが怖く、応じるしかありませんでした。
トモノリの投げた石は狙い通りタカギくんの頭上を越え、大きな水しぶきを上げて池に落ちます。少年の投げた石はタカギくんの顔すれすれを通ってしまい、避けようとしたタカギくんはバランスを崩して池に落ちてしまいます。
暫くして少年は、タカギくんが気になって池に戻ります。すると何事も無かったように釣りを続けるタカギくんの姿がありました。
少年はタカギくんに話しかけます。怒った様子もなく、さっきのことが少年の仕業であることに気付いた様子もないタカギくんに、少年はホッとします。
そして二人は幾つかの会話を交わします。タカギくんの狙いがライギョだと知った少年は声がはずみ、二人のあいだに少し和やかな空気が流れます。
しかしやがてタカギくんが言います、さっき石投げただろ、サトウの弟も一緒だったろ。
少年は背筋がぞくっとして…。
『すねぼんさん』
父が病気で亡くなり、母の実家のある町に引っ越すことになった少年は、家財道具と一緒に、父と同じ運送会社で働らく男性の運転するトラックに乗せられます。
初めて乗り込むトラック、真っ暗な車中、よく知らない二人の大人の男の人との長時間移動、もう会うことのない父、新しい町でのく暮らし…。
物寂しさ、心細さが少年を支配します。
走り続けるトラック。
そのトラックはやがて深夜営業のドライブインに入ります。そしてそこで少年は、思わぬ光景を目にします。
『川湯にて』
少年は離婚したばかりの母に連れられて川湯に来ます。川湯とは、温泉が湧く川のそばで自分たちで掘ってつくりあげる露天風呂のことです。
母は42歳。離婚した父は不倫相手の20代女性とすぐに再婚しました。
自らに川湯を掘りきることを課した母親と、それに付き添う少年。元旦当日の銀世界の中、大人の男手の無い二人の穴掘りは始まりす。
『おこた』
アヤちゃんは父の妹です。父より一回り年下でいまは二十ハ歳です。父とアヤちゃんのお父さん、少年のおじいちゃんが早くに亡くなったので、父は自分のことをアヤちゃんの父親代わりだと思っています。
去年の秋の終わり、アヤちゃんが誰にも相談せずに離婚して以来、父は酒を飲むと悪酔いするようになります。父はそもそも、アヤちゃんの結婚に賛成しておらず、相手の男の人を気に入っていないようでした。
そんなアヤちゃんがこの正月、少年たちの暮らす実家に三年ぶりに帰省することになって…。
『正』
少年は自分のことを、勉強でもスポーツでも遊びでも、クラスに17人いる男子の中で真ん中よりちょっと上、7番とか、8番とか、もしかしたら6番とか、以外と5番とかだと思っています。
そんな少年は、3学期の初日を緊張して迎えます。始業式後の「終わりの会」で、3学期の学級委員を決める選挙をするからです。
少年の中での「上」の4人は、1学期と2学期で既に学級委員を済ませています。再選なしのルールだから、次はもしかしたら、自分が選ばれてしまうかもしれないのです。
学級委員なんてなりたくない、でも選ばれないのは悔しい、少年の思いは揺れます。
そしていよいよ選挙は始まり…。
『どきどき』
もうすぐバレンタインデー。少年は去年まではちっとも気にしていなかったのに、今年はどきどきしています。というのも、今年の正月、生まれて初めて女子から年賀状をもらったからです。
女子の名前は川本さん。少年と同じクラスです。
少年は自分では、川本さんのことはなんとも思っていない、そう思っています。そもそもバレンタインデーなんて自分には関係ない、チョコなんていらない、好きな女子がいるとか、オンナと付き合うとか、そんなのバカじゃないの、と思っているつもりでいます。
でも少年は、やっぱりどきどきしてしまっています。
少年は思います、自分は川本さんからチョコを「期待」なんかしていない、でも「可能性」はある、富士山が今日噴火する可能性がゼロではないように…。
そして2月14日の朝。ふだんより1時間早い、6時半に目覚めてしまった少年の、どきどきの一日が始まります。
『タオル』
地元で一番の腕を持つ一本釣りの漁師だった少年の祖父が亡くなりました。自宅でお通夜が行われる日、大人だらけの家の中で少年は自分の居場所を見つけられずにいます。
そこへ東京の言葉で話す、父より少し年上の客がやってきました。そのシライさんという客は、12年前に祖父をグラビアページで紹介した、旅行雑誌の記者でした。
お通夜までの時間を一緒に過ごすことになったシライさんと少年。シライさんは少年に、取材に来た頃はまだ、少年の父は見習いみたいなもので、祖父の船に乗ってしょっちゅう叱られていたこと、髪はリーゼントだったことなどを話して聞かせます。
そして、当時撮った写真を見せてくれます。そこにはいまよりもずっと若い、20歳そこそこの父と、還暦前の祖父が写っていて…。
感想
本の端をつまむ左手の指と指とのあいだが狭くなっていくにつれて、これらの物語の世界を終わらせたくない気持ちになりました。
でもとうとう、最後の『タオル』を読み終えてしまいました。
読み終えて2、3日、作品のことが頭の隅なのか、心の奥なのかわかりませんが、ずっと体の中にありました。
でも作品のことについて考えると、何だか寂しくなるので、何も考える気になれませんでした。
それでも数日経つと、不思議と平常心が戻ってくるものです。
そしてようやく作品について、懐かしかったとか、感動したといったような、言葉で表せる感想を抱けるようになりました。
更に数日経った週末休みの日、私は「5年生ではもう一緒に遊べなくなった、3、4年当時の仲間たちは、今どうしているだろう」と思い至りました。
そして彼らの名前を、スマホで検索してみました。
今でも、漢字でスラスラ思い出せたのが不思議でした。
検索した名前は、ほとんどがヒットせず、今彼らがどうしているか、知る手立てはありませんでした。
しかし1人だけ、ヒットした名前がありました。
彼は今、地元で運送会社の社長をしていました。
画面に映し出された彼は、髪に白いものが目立っていましたが、紛れもなく当時の彼でした。
3年生と4年生を一緒に遊んで過ごし、5年生でも遊ぶはずでしたが、それが叶わなかった彼でした。
画面の中の彼を見ながら、小学4年の夏に、彼を含めた数人の仲間と、空き地で夕暮れまで野球をしたことを思い出しました。
上級生に教えてもらった、マッカチン(アメリカザリガニ)がたくさん潜んでいるという秘密の池に、一緒に自転車で行ったことを思い出しました。
私のことを下の名前で呼ぶ、野球帽をかぶった彼の少しかすれた声が、すぐそこから聞こえてくるようでした。
私と彼は、紛れもなく同じ時間を過ごしたのです。
でもそれは、小学4年生まででした。
5年生になって、彼を含めた仲間たちと、もっと遠くまで遊びに行ったり、秘密基地を作ったりしたかったです。
仲間の1人が提案した川下り(それは住宅街を流れる用水路でしたが)だって、5年生になれば実行できていたかもしれません。
でも、それらを実現することは叶いませんでした。
だからそう遠くないいつか、今度は彼ら、3、4年当時の仲間たちを引き連れて、『小学五年生』の「少年」たちに、会いに行こうと思います。
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