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テレビドラマ『面影橋・夢いちりん』捨てたものを拾いに行った男達

目次

はじめに

私が高校生だった頃に報じられたテレビドラマに『面影橋・夢いちりん』という作品がありました。とても感動した作品でしたが、当時我が家にビデオ録画設備は無く、再視聴する機会はその後もありませんでした。しかし幸運にも、その後書店で本作品の脚本が掲載された書籍を入手することができました。私は今でもその脚本を読み返しては、当時観たテレビ映像を思い返しています。

作品概要

『面影橋・夢いちりん』は、1988年10月から1990年1月までのあいだに、テレビ朝日系列で放映された『シリーズ街』というドラマ作品群の一つです。脚本を担ったのは市川森一さんです。

登場人物

秋山 卓也(41)    鹿賀 丈史
東都大学助教授。(早稲田大学一文哲学美学専攻卒)。札幌の開業医(大病院)の息子。大学では文芸学部で建築史、絵画史、中世、美術史等のゼミを持つ。子供ナシ。

鈴木 妙子(19)
母・文子(二役)    有森 也実
喫茶店「エルム」の経営者。母(文子)は二年前に他界。

松本  誠(41)    大竹まこと
弁護士。(早稲田大学法学部卒)。金沢の名家(老舗の呉服商)の息子。離婚歴あり、現在独身。

〈中略〉

三好 一行(41)    矢崎  滋
外務省北米局。(東京大学法学部卒)。福岡の元市助役の息子。地元出身の代議士(保守系)に見込まれて、婿養子となる。男児ばかり三人。旧姓・広川。

吉原 哲夫(41)    篠田 三郎
三友銀行渋谷支店長代理。(一橋大学商学部卒)。金沢の元教育者(地元の高校校長)の息子。中学生の一男一女あり。

『ドラマ 六月号』 通巻第120号 映人社 1989年6月1日発行 P21〜P22

あらすじ

新宿区早稲田界隈を流れる神田川に架かる橋の一つに、面影橋という名の橋があります。時は1968年、面影橋近くのアパートに、秋山、松本、吉原、三好という四人の大学生が住んでいました。彼等には、文子というマドンナ的存在の女性がいました。近所にある喫茶店エルムの店主です。文子は、笑顔を絶やさない、18歳の美しい女性でした。四人はエルムの常連でした。

二十年後、彼等四人はそれぞれの分野で社会的成功を治めます。秋山は大学助教授に、松本は敏腕弁護士に、吉原は大手銀行渋谷支店の支店長代理に、三好は外交官になっていました。

ある日、四人は文子の死の知らせを受け、二十年振りに面影橋を渡って、エルムで再会します。文子の娘の妙子が、母の三回忌法要に出て欲しいと、四人に連絡したのでした。法要は四人だけが招かれ、エルムの二階の妙子の住まいの一室で静かに行われました。

法要を終えて一同解散しようとした時、吉原から思わぬ告白を受けます。不倫相手の女性を殺害し、今から警察に自首するというのです。

しかし明くる日になっても、吉原は自首しません。妙子がそれを阻んだのでした。実は妙子の父、言い換えれば文子の夫は戸籍上には存在しません。妙子は文子によって女手一つで育てられたのでした。そして妙子は文子から、父の話は一切聞かされていなかった変わりに、幼少の頃から四人の話を聞かされていました。妙子は四人の中の一人が、自分の父親だと思い続けていたのでした。そんな、自分の父親かもしれない四人のうちの一人が、警察の手にかかることを妙子は受け入れられなかったのです。妙子は、吉原をエルムの二階で匿い始めていたのでした。

秋山、松本、三好は吉原を自首させる為に、面影橋を渡ってエルムに通うようになります。しかし妙子はそれに応じせん。やがて女の遺体が発見され、事件が明るみに出ます。走査線上に吉原の名が上がるのに時間はかかりませんでした。やがて刑事は吉原の潜伏場所として、彼が学生時代に慣れ親しんだこの面影橋界隈を割り出します。すると吉原は、エルムが突き止められるのも時間の問題であることを悟ります。秋山と三好がエルムに立ち寄ったある晩、吉原は秋山と三好にすぐに自首しなかったことを侘び、ここを立ち去って自ら命を絶とうと考えていることを告げます。秋山と三好に返す言葉は見つかりません。しかし妙子は、死なれるくらいなら自首してくれたほうが良いと言い、警察に電話しようとします。秋山はそんな妙子を制します。

深夜の東名高速。吉原のスーツを着用して吉原の車を運転する三好が前を、その後ろを秋山が追従します。二人が辿りついた場所は青木ヶ原樹海。三好は吉原の車を乗り捨て、吉原のスーツを脱ぎ捨てて、吉原が樹海に来たとする痕跡を残します。二人は吉原の偽装自殺を企てたのでした。

秋山の企てによって吉原の遺書も公開され、更には青木ヶ原で吉原の遺留品が発見され、捜査は吉原の自殺という線で進められることになりました。

企ての成功に安堵する秋山と三好。しかし弁護士である松本は、吉原がエルムの二階で身を隠し続けているという現実を無視した軽率な行動だと、秋山と三好を批判します。

後日松本は、吉原に会いにエルムを訪れます。松本は吉原に、自分が妙子の父親であると名乗り、エルムの二階に身を隠し続けることを提案します。しかし吉原はそれを拒みます。吉原は妙子の父親ではなかったのです。松本は、父親と偽ってでも居続けるべきだと主張しました。しかし吉原は、それは出来ないと退けます。もはや吉原には、時期を見てここから去り、逃亡生活に入るしか選択肢はありませんでした。

吉原との話を終えた松本が階下に降りてくると、エルム店内に秋山の妻が来ていて、妙子に何やら激しく詰め寄っています。妙子は困惑しています。聞けば秋山の妻は、秋山の隠し子がここの二階に隠されていると聞きつけ、ここを訪ねて来たと言うのです。秋山の妻は二階に上がろうとします。松本は慌ててそれを制します。二階には吉原が居ます。それを秋山の妻に見られる訳にはいきません。松本は咄嗟に、秋山の隠し子は目の前の女性、妙子であると告げます。そして松本のこの発言によって妙子は、自身の父親が秋山であることを知ったのでした。

捜査が、吉原自殺ということで打ち切られようとしていたまさにその時、吉原の遺留品とされたスーツに付着していたフケが、吉原の血液型と不一致であったことが判明します。そして警察は、吉原の周辺人物による偽装自殺を想定して再捜査に乗り出します。そしてついに、秋山と三好を割り出すに至ります。フケの血液型が三好と一致していたこと、また吉原の遺書の公開に、秋山が噛んでいたことを突き止めたのでした。

吉原は松本から、捜査の手が今まさに秋山と三好に延びようとしていることを知らされます。吉原はついに窮地に立たされたのでした。そして吉原は松本に助言を求めます。松本は、残酷なようだけどと言い添え、秋山と三好が偽装した行為を事実にするしかなかろうと述べたのでした。二人の会話のやり取りを、背後から聞いていた妙子の姿がありました。妙子は松本に、激しい怒りの言葉を浴びせます。しかし吉原は松本の助言通り、青木ヶ原樹海に入って行ったのでした。

吉原の居なくなったエルムに秋山と三好が来ています。その時警察がエルムに乗り込んで来ます。警察は、エルムの二階に男の姿があったという目撃情報を得ており、それが吉原に違いないと考えたのでした。しかし吉原は見つかりません。さらに秋山がその目撃情報の男とは私のことだと述べ、また妙子と自分との親子関係を警察に説明すると、警察は返す言葉を失います。警察は一旦その場を引き揚げました。

後日警察から、執拗な取り調べを受ける秋山と三好。しかし二人は何とか偽装や隠微を誤魔化し切り、無事釈放されたのでした。

秋山は松本にどうしても聞かなければならないことがありました。妙子の父親のことです。血液型から、吉原と三好に父親の可能性はなく、あるのは秋山と松本だけでした。しかし秋山は、実は文子と関係を持った経緯は無かったのです。そして松本に、父親は君だよなと言いました。松本の表情が硬直します。その一瞬の変化がすべてを語っていました。秋山は、君に父親だと名乗れとは言わないから安心しろ、君のような人物が父親だと妙子が気の毒だと言った上で、自分は生涯を通じて妙子の父親で通すつもりでいる、君はもう二度と面影橋を渡ってはいけない、エルムにも行ってはいけないと告げました。秋山は松本に、学生時代を共に過ごした面影橋界隈での思い出を捨て去ることを要求したのです。松本は狼狽えます。そして無言のまま、秋山の元を去って行ったのでした。

数日後、三好が秋山の研究室を訪ねます。三好は、我々を庇って自ら姿を消した吉原が不憫で愛おしくて堪らないと涙ぐみます。秋山は、吉原の置き手紙に記された「旅に出ます」と言う言葉通りに受け止めてやるべきだ、と三好の肩を叩きます。三好は笑顔を取り戻し、妙子ちゃんは文ちゃんに似て素直な良い娘だ、お前だけ上手くやりやがって、と言います。秋山は、二十年も前のハナシだ、悪く思うな、と言い返します。そして三好は、我々はあの日捨てたものを、面影橋を渡ってもう一度拾いに行った、会えて良かった、そう秋山に告げます。その言葉に秋山も、しみじみ頷くのでした。

感想

私達の日常にもあり得ることだと思いますが、あの曲がり角を曲がった向こう側、あの橋を渡った向こう側はとても懐かしい、そう感じさせる場所があるものだと思います。その場所は今の日常生活圏からさほど遠くはないけれど、今はその曲がり角、その橋の手前をただ直進するだけで、その角を曲がること、その橋を渡ることは決してない、そういう場所です。

しかし『面影橋・夢いちりん』の秋山・松本・三好・吉原は、ふとしたことから、そんな橋を渡って行くことになります。

1968年当時、大学生であった彼等は新宿区早稲田界隈を流れる神田川に掛かる面影橋の北側のエリアに住んでいました。その手前には、新目白通りが東西に走っています。彼等は日常的に、都電荒川線の面影橋駅で下車し、面影橋を渡ってその北側のエリアに入って行っていました。しかし彼等は大学卒業と同時にそのエリアに立ち入ることはなくなりました。

やがて彼等は、大学助教授、弁護士、銀行マン、外交官として、それぞれの分野で社会的成功を治め、東京の山の手エリアを本拠に社会生活を送るようになります。その間、新目白通りを往来し、車窓越しに面影橋を見掛けたことはあったでしょう。しかし彼等は、その橋を渡ることも、都電荒川線の面影橋駅に降り立つこともありませんでした。大学を卒業して二十年経ったある日、そんな彼等にかかってきた妙子からの電話が、彼等を面影橋の北側に呼び戻すことになります。そして、面影橋を往来する日々が再び始まったのでした。

私達にも、思い返すと心地良かったり、心がぽかぽかしてくるような思い出が、一つか二つはあるのだと思います。しかし慌ただしい毎日の中では、それらを思い返す機会はなかなか無いものだと思います。『面影橋・夢いちりん』は、そのような思い出を思い返す機会を与えてくれる作品だと思います。

残念ながら『面影橋・夢いちりん』は、DVD化やオンデマンド化はされていないようで、再視聴の機会は無いようです。とても残念でなりません。しかしいろいろ調べてみて、本作品、そして脚本家の市川森一さんが、今を時めく多くの映画作家やテレビドラマ作家から、とても敬愛されていることを知りました。きっと『面影橋・夢いちりん』はその方々の手によって、これからも形を変えて継承されていくのだと思います。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (6件)

  • 投稿を拝見しました。
    私は、もう一度観たいドラマを1つ挙げよと言われたら、ノータイムで本作が頭に浮かびます。
    88年11月頃の放映と記憶していますが、当時田舎の高3で早大入学を目指す受験生だった私は、本作を観て入学への想いを強くしたものです。翌春運良く合格することが出来ましたが、本作が後押しするところが大きかったと今でも確信しています。
    私は最後の面影橋のたもとでの鹿賀丈史と大竹まことの絡みが強く印象に残っています。
    大竹:(学生時代に借りた)5万円、返さなきゃなぁ…
    鹿賀:いや、カネは返さなくていい。その代わり、お前の思い出もらう。
    こんなやり取りから、二度と面影橋を渡って有森也美と会わないことを約束させる流れだった…と記憶しています。

    台本をお持ちとのこと、本当に羨ましいです。
    難しいとは思いますが、是非ともリバイバル放送かDVD化して欲しい一作ですね。
    突然のコメント、失礼しました。

  • コメント拝読しました。
    「面影橋・夢いちりん」が、早大受験に立ち向かう高校野球ファンさんに、大きな力を与えたのですね。
    そういえば作中の鹿賀丈史さん、そして大竹まことさんも早大卒という設定でしたね。いわば高校野球ファンさんは、彼等と同窓ですね!
    その二人による、面影橋での高校野球ファンさんご指摘のあの場面、いいですよね。私も非常に思い入れのある場面です。
    私も高校野球ファンさんと同世代です。多感な時期に本作品に出会えた我々は、ほんとうに幸運ですよね!
    調べてみましたところ、「市川森一 ノスタルジックドラマ集」という書籍に本作品の掲載があるようです。宜しかったら是非検索されてみてください。
    心温まるコメント、ありがとうございました。

  • 私も大好きでDVDに録画して今でも大事に保管してたまに見ています。
    鹿賀さんがかっこよく、大竹さんが冷たい役でした。篠田三郎がいい味を出していました。矢崎さんは焦った時の演技が光っていました。最後はビンダオに飛ばされてしまいましたが。

  • Dankiさま、コメント拝読しました。
    本作はオンエアからもう30年以上は経ちますかね。そんな本作をDankiさまは今でも大切に保管していらっしゃるんですね。本作が大好きな者の一人として、とても嬉しく感じます。
    鹿賀さん、大竹さん、篠田さん、矢崎さんの芝居、ほんとうに良かったですよね!矢崎さん演じる三好、確か最後そうでしたね、設定上、前回オリンピックで選手が2名だけ出場してたという…。
    コメント、誠にありがとうございました。

  • 初めまして、お邪魔致します。

    私も数年前に思い出の欠片としてブログ記事にし、最近、YouTubeのお勧めに、何故か日暮の花一輪がピックアップされたので視聴し、懐かしさに駆られて番組名を検索して様々なサイトを巡っていた所、こちらに辿り着き、e100years様の考察・感想に感服致しました。

    私は放送当時、中学2年生でしたが、単に鹿賀丈史さんのファンだったので何とはなしに視聴していましたが、子供ながらに大人の世界を垣間見て、哀愁を感じたものでした。

    私の中でも、もう一度観たいドラマ五指に入る思い入れの強い作品でした…

    突然の長文、失礼致しました…

  • 「真昼の三日月」管理人さま、ブログも拝読致しました。
    放送当時、中学2年生だったんですね。
    記事を拝読して、私自身も思春期の頃、「大人の男の人って、なんか悲しいな」って感じる時があったのを思い出しました。
    作中歌の「花一輪」(歌:日暮し)、良いですよね。
    ビデオテープに残していたら、擦り減るぐらい観ちゃいますよね、分かります!
    コメントありがとうございました。

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